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セスキ・ポンペイヤ SESC Pompeia 文化センター

所在地:サンパウロ/再生設計者:リナ・ボ・バルディ/
Before:鋼缶工場・倉庫(1856年)/
After:文化コミュニティ施設(居間、図書館、スタジオ、展示場、劇場、スポーツ施設、日光浴デッキ、レストラン、スナックバー)(1982年)

ブラジル・サンパウロ市内のクレーリア地区に、1856年に建設された鋼缶工場とストックヤードがあった。1856年と言えば、日本は幕末の安政年間。1970年代後半には使われなくなり荒れ果てていた。その工場とストックヤード跡を、総合文化施設を運営するSESC(セスキ=ブラジル商業連盟社会サービス)が目をつけて再生計画が持ち上がり、モダン建築で有名だったリナ・ボ・バルディが設計を担当した。敷地の特徴を活かした「再生計画」によって、1977~1982年に、地域の老若男女が集う「セスキ・ポンペイヤ SESC Pompeia 文化センター」として甦った。

 

計画のテーマは、アクティビティと多様性。ノコギリ屋根レンガ造の広大な工場兼ストックヤード内は区画分けされ、多種多様な文化施設が配置された。様々な市民グループが気楽に交流できる暖炉のあるリビングエリア、図書館、ワークショップなどにも使えるスタジオ、展示場、音楽やダンスなど各種イベントができる1200席の劇場、レストラン、バーなどに使われることになった。この建物以外にも、プールや屋内運動場と更衣室が屋外廊下橋で結ばれた2棟の高層スポーツブロックが建てられた。1階の通路部分には日光浴デッキが設けられた。倉庫や工場のリノベーションが、街や社会環境を向上させた好例である。

SESCは、1946年に商業関係企業家グループが集まって社会福祉を目的とし、社会全般の生活水準を高める事業を展開している。サンパウロ州内には、30のSESCの施設があり、週30万人がアクティビティに参加している。

(大隈 哲:イーソーコ総合研究所)

<プロフィール>
大隈 哲(おおくま さとし)
1946年7月福岡県生まれ。1972年3月早稲田大学大学院都市計画専攻終了後、同年4月日建設計入社、77年4月建築専門雑誌『日経アーキテクチュア』出向、97年4月日建設計都市・建築研究所主幹・所長付、2006年4月日建設計総合研究所主任研究員、2008年2月世界建築会議2011年東京大会日本組織委員会へ出向、事務局統括参事などを歴任。2012年3月より現職。