COLUMN
コラム
モダニズム倉庫の波止場を巡る 神戸編(1)摩耶~新港東~兵庫
安川千秋(写真家)
異人館やオシャレな店のある街へと向かう観光客を横目に、観光地とは対極の波止場巡りを始めよう。まず向かった先は摩耶埠頭。西の兵庫津から東へ東へと発展していった神戸港の中でも、かなり東側に位置する埠頭だ。「摩耶」、まるで昭和の映画のタイトルのようなその魅力的な名前に注目してしまうが、ここは1967(昭和42)年にわが国初のコンテナ専用埠頭として造られた。当初4つの突堤があったが、平成になって埋め立てられコンテナ業務もポートアイランドや六甲アイランドへ移行し、いまは物流拠点としての役割を担っている。この「摩耶」の名は背後の六甲摩耶山に由来しているという。話はそれるが、六甲摩耶山には近年廃墟建築としては初めて国の登録有形文化財に認定された「摩耶観光ホテル」がある。廃墟と埠頭、両方ともエキゾチックな神戸にふさわしい存在ではないか。さて、話を戻してこの摩耶埠頭を歩いてみよう。
突堤があった海側に昭和のコンクリート倉庫が並ぶ。おそらく突堤の岸壁に面して建っていたのだろう。ケイヒン、名糖、日新、住友。それぞれ形が異なるバルコニーの水平ラインやバルコニーを結ぶ階段、そして連続するドアや窓など、モダニズム建築の機能美を寡黙に表現している。また名糖倉庫には、まだホイストクレーン(以下ホイスト)が装備されているではないか。私はこのホイストが、港という独特な景観をつくりだす重要な装置の一つだと思っている。モダニズムの四角い箱だけでは物足りない。その箱(倉庫)の上部から空へ海へと伸びるホイストがあってこそ、力強い港湾風景が完成されている。今はその役割は、巨大コンテナ埠頭のガントリークレーンにとって代わられたといえるかもしれない。さて摩耶埠頭倉庫街の心臓部は、突堤のあった海側とともに反対の山側にもあるようだ。埠頭を横断するハーバーハイウェイの下、運河を挟んで市街地を望む岸壁沿いに20棟近い倉庫群が肩を寄せ合うように建ち並んでいる。もう使われていない倉庫もあるようだが、多くは現役で稼働している。そしてそのどれもが埠頭が完成した時に建てられたであろう昭和のモダニズム倉庫群である。倉庫は人のためではなく、あくまでもモノを保管することを目的に建てられた建築だ。装飾は必要なく機能だけを優先したカタチではあるが、倉庫会社の目的や用途によってデザインは異なる。同じようでそれぞれ違う。同種同類の中に微妙な差異を見つけて楽しむマニアックな要素も、倉庫は持っているのかもしれない。といってもどれもが昭和の年季の入った建物だ。いつ壊されてしまうかわからない存在でもある。倉庫マニアという人たちがいるかどうかはわからないが、見ておくのなら早いほうがよいと思う。摩耶埠頭のこの倉庫群は一見の価値あり。

摩耶埠頭。タイトル写真の市街地側岸壁に建つモダニズム倉庫群を近くから見る。これだけの倉庫が並ぶ光景は日本ではもう見られないのではないか。

海側の以前は突堤であっただろう場所に建つ倉庫群。リズミカルに続くバルコニーが印象的。日新倉庫のブルーの色づかいが装飾のない建築にアクセントをあたえている

力強く伸びるホイスト。名糖倉庫のハッとするオレンジのカラーリングにオシャレな神戸のセンスを感じる。

何の変哲もないシンプルな四角い箱だが、並ぶと微妙な差異にその倉庫の寡黙な個性を発見する。パラペット部のサインロゴが美しい。
次に訪れたのが新港東埠頭だ。昭和の頃まで、神戸港の中心である税関の前にある4つの突堤と連続して東側にあと4つ、計8つの突堤が並んでいた。その通称5突から8突まであったのが新港東埠頭。ここも平成になり突堤間が埋め立てられ、中古車のオークションや輸出入拠点として使われているという。埠頭に入ると、摩耶埠頭ではあまり見かけなかった時代を感じさせる平屋の上屋も残っている。驚いたのは倉庫の長さである。ケイヒン倉庫、三菱倉庫、川西倉庫などなど、おそらく4本あった突堤の形状にあわせたその長さと大きさは、過去見たことのないスケール感である。ケイヒン倉庫に至っては正確に測ったわけではなくザックリの感想だが、1棟100メートルは優に超える規模ではないか。そんな巨大倉庫の角を曲がると、急に古びた小粒の倉庫街が現れた。するとどこからかエスニックな香辛料の匂いがしてくる。この埠頭は中古車と併せて食料品も扱っているようだ。その一画にあったアールを描いたヤマタネ倉庫が青空に映えていた。このシンプルな姿も究極のモダニズム建築といえるだろう。また、新港東埠頭は摩耶埠頭と同じように、ハイウェイの市街地側に中小の倉庫やサイロが並んでいる。運河には当時、港湾労働者(沖仲仕)や物資を運んだ艀(はしけ)がまだ数多く係留されていた。

新港東埠頭。どこまでも続くケイヒン倉庫。突堤に面して建っていたのであろう。
ここでいったい何人の港湾労働者やフォークリフトが動き回っていたのだろう。想像するだけでも胸が熱くなる。

三菱倉庫も負けずに長く大きい。奥には三井倉庫が続く。

コーナーをアールにしたヤマタネ倉庫が四角い倉庫群の中で異彩を放っている。これも究極のモダニズム建築といえるだろう。

川西倉庫。コーナーにクレーンか、何か構造物の台座跡がみられる。倉庫ファンとしては興味をそそられる。

市街地側の岸壁沿いに中小の倉庫群があるのは摩耶埠頭と同じだ。もう使われなくなったのかサイロが静かに佇む。

倉庫ウォッチャーの目を引くディテール。こういう細かい部分に倉庫の歴史や物語性を発見する。これが楽しみでもあり醍醐味でもある。

新港1号上屋と表記されているから相当歴史のある上屋であろう。倉庫と共に上屋の存在が奥行きのある港のランドスケープを形成している。

上屋と同じようにサイロも港にはなくてはならないランドマークである。
アンローダーやコンベアーなどの構造物も魅力的風景に一役買っている。
最後に向かったのが兵庫埠頭。開港は当時ここ兵庫津(津とは港のこと)に白羽の矢が立ったが、のちに神戸へ変更した経緯がある。兵庫は神戸よりはるかに歴史があり繁栄していた街であり港であった。その兵庫埠頭も3つの突堤があったが、ここも平成になり埋め立てられ現在の姿になる。神戸中央卸売市場が隣接しているため食料品中心に扱う埠頭で、倉庫街もどこか庶民的で懐かしい風景が残っている。中でも巨大看板建築のような篠崎倉庫の威容が目に留まる。また岸壁側に残る上屋や上組のコンクリート倉庫群にこの埠頭の歴史を感じる。おそらく震災の影響であろう、斜めになったままの平屋の上屋が印象に残った。

兵庫埠頭の中でもひときわ目を引く赤茶色の篠崎倉庫。めずらしく、デザインされたファサートといえるかもしれない。

装飾のないモダニズム倉庫は、経年による汚れやサビやヒビが予期せぬ装飾を生む。
それが味となり見る者にとってはある種の美となる。また、光によって見え方がガラッと変わるのも倉庫の魅力だ。

震災を耐え抜いたのであろう、兵庫埠頭の歴史を纏ったような倉庫が佇む。貴重な存在といえる。

今回柱が斜めに傾いたような古い上屋を何棟か見た。おそらく震災の影響によるものであろう。
こうして3つの埠頭を急ぎ足で見てきたが、気になったのは突堤の存在である。西の兵庫埠頭から東の摩耶埠頭まで、ポートタワーのある中突堤と税関前の4突堤を入れると、なんと16もの突堤が海上に突き出ていた。小さい突堤も入れると、まるで櫛の目のような風景が存在していたわけである。そこに無数の倉庫が建ち並んでいたのだ。神戸港は東西に長く、そこに並んだ突堤の姿は実に壮観であっただろう。すでに遅きに失したが、昭和の時代に取材をして写真に収めておきたかった。
公開:2026年9月9日
【プロフィール】
安川千秋(写真家)
1950年 横浜市生まれ。1974年 中央大学商学部卒業 株式会社住宅新報社入社 「住宅画報」編集部勤務。1986 年 写真家として独立。日本写真協会会員。日本建築写真家協会会員。
著書に写真集「ロストロフト 横浜-横須賀-芝浦」カンゼン「倉庫 横浜・横須賀」ワールド・フォトプレス「風景の棲む場所」コダックフォトギャラリー、 共著に「横浜の土木遺産」「横浜の近代建築1」「横浜の近代建築2」横浜市発行「新・横須賀の歴史」横須賀市発行。
個展 1986年「ヨコハマ・ベイサイド」新宿ニコンサロン 1995 年「BAY YARD 横浜大黒埠頭」銀座コダックフォトサロン 2002 年 「沈黙の丘 横須賀長井ハイツ」銀座コダックフォトサロン 2025年「LOST LOFT 失われた倉庫を求めて 横浜-横須賀-芝浦」リソーコギャラリーなど。グループ展多数。
ロストロフト 横浜-横須賀-芝浦
https://www.kanzen.jp/book/b10133651.html